toytoytam’s blog

実話ブロガー

結婚

「女は結婚したら終わるね」

 

 知り合い既婚女性のこの言葉を聞いて悲しい気持ちになった。

 

 結婚して心から満足している人は極めて少ない。少なくとも私の周りに幸せだと断言している人はいない。

 

 冷静に考えればそれもそのはずだ。

 時間、お金、恋愛、友人、趣味 全てが大きく制限されるのだから。

 

 私は結婚していないが、ずっと結婚を夢見て生きてきた。 

 好きな人が家にいて、いつでも触れることができる。こんな幸せなことはないだろうと思ってきた。

 

 しかし、私が女の子を好きな理由が見た目と体と見た目の可愛さありきの天然な性格である以上、いつかはこの愛情は薄れる。

 

 そうなった時に、結婚というのは制限されているものがあまりにも多すぎる。

 

 

 こんなに制限が多い結婚なのに、結婚そのものに幸せを感じていない人が多い。

 

 日中好きでもない仕事をして、帰れば奥さんの機嫌を伺いながら過ごす先輩。

 

 奥さんのことは大好きだが、月に一回もエッチさせてくれないと嘆き続けている先輩。

 

 高給取りにも関わらず、月のお小遣い3万円の朝から晩まで働いている上司。

 

 不倫がバレ、小さいお子さんがいて離婚できない先輩夫婦。

 

 

 

 なぜ結婚は人生のほぼ全てを制限される制度なのに、みな安易に入籍して制限だらけの辛い日々を過ごしているのか。

 

 自己分析と、譲れないもの、結婚に求めるもの、等。ゴールを自分なりに理解してから結婚したいものだ。

 

 

 

 制限の中で文句を

 言うだけの人生はごめんだ。

TOY STORY 4

私はトイストーリーが大好きだ。

全作品五周ほどしている。

世界観に惚れ込んでいる。

 

中でもトイストーリー4が一番お気に入りだ。

 

画が格段に綺麗になっていて、冒頭の過去の回想シーンから完全に引き込まれて気づいたら終わっていた。

 

 

ここからシーンごとの感想を記していきたい。

 

なんといっても4の最高のシーンは

クライマックス。

 

今まで仲間と持ち主のために頑張ってきたウッディにバズが問いかける。

「心の声に従え」

 

仲間と持ち主はもちろん大切な存在だ。

でも今、この瞬間、ウッディの心の声はだれといたいんだ!

もう十分お前は頑張ってきた。十分過ぎるくらいに。アンディの頃のようにウッディが愛されることもなくなってきてる。

もう他者のために頑張り続けなくてもいい。

会えなくなったっておれたちはお前を忘れないし、ずっと仲間だ。

 

私には、バズと仲間のそんな声が聞こえた気がした。

一瞬で判断しなくてはならないウッディ。

ボーピープと一緒にいることを決断。

 

それでいい!それがいい!よく頑張ってきた。

私は映画館でしきりにそう思い続け、ウッディを称えた。

 

 

 

ギャリーギャビーの考え方は実世界でも通じるところがある。

 

あれがあれば、

あれさえあれば上手く行くのに。

 

そんなことを考えることはみなあったと思う。

 

しかし意外とそのものが手に入っても上手くいかなかったことはないだろうか。

私はある。

今この状況でできることをしようとしなければ、欲しいものが手に入ったところで上手くはいかない。もしくは手に入らない。

 

なぜとかは分からない。そういう風にできているんだと感じる。

 

壊れていないボイスボックスさえあれば、

子どもに愛される。

だから、あなたのボイスボックスが欲しいの。

 

上手くはいかなかった。

壊れていないボイスボックスは

手に入れたのに。

 

声はちゃんと出るんだから、壊れているボイスボックスに囚われていないで、普通の声で勝負に出るべきだった。

 

 

一方で、とりあえず行動するボー、ウッディ、バズ、ジェシー、カブーンは良い結果をもたらした。

 

行動を始めて、走りながら考える。改善していく。上手くいかなくても次、次、次。

上手くいく秘訣が詰まっていたように感じた。

 

 

 

どんな人生を送りたいか。

 

 

TOY STORY 5 を心から楽しみにしている。

 

 

言葉って大事

 最初に言葉の威力を教えてくれたのは、私が高校生の時通っていた予備校の先生だった。

 

 受かると言っていれば受かる、ネガティブな言葉は絶対に使ってはいけないと言っていた。

 

 

 その時の私は、「そんな言葉くらいで未来は変わらないでしょ、受かるやつは受かるし」

くらいに思っていた。

 

 

 しかし、23歳現在になって実感している。生きてきて成し遂げたこと、現在の環境、全て自分の言葉通りになっている。嘘ではない。

 

 以下、言葉が現実になった出来事を紹介させてほしい。

 

 社会人になったら必ず実家を出ると言い続けてきたが、社会人になった時の貯金は1万円とかしか無かったのですぐに出ることはできないと思っていた。 

 しかし先輩の住んでいる安いシェアハウスを知ることができ、すぐに引っ越しを決めた。

 

 彼女に何回も振られたあと、なんで自分は彼女が欲しいのか、本当に必要なのか考え続け、彼女を欲しいと思う理由は性欲を満たしたい気持ちがほとんどであることに気付いてしまった。

 それに気づいたあとは彼女はいらないと言うようになり、いわゆるセフレやセックスまでしなくても抱きしめながら一緒に寝たりする女の子ができたし、昔からの女友達とセックスする機会もあった。

 

 仕事に関して、なんとなく大学に入り、周りがやっているように就活をし、会社に就職した。会社に就職し働くようになって初めて自分がなぜ働くのか考えるようになった。

 自分が今この会社で働いているのは、お金と、税金や年金、保険等の手続きの手間から逃れるためでしかないと結論づけた。

 一社会人として必要とされる礼儀等は、普通に生活する上でも必要であるし、会社の人間として必要とされていることは無駄なことばかりだと感じた。ここは意見が分かれるところではあると思う。

 そうなれば起業するか投資しかないと思い、そう言うようになった。

 起業は計画を練っている段階だが、投資はとりあえず本で読んだ投資信託を始め、2ヶ月で150円ほど利益が出ていた。この150円はとても嬉しい。

 

 

 自分の頭で考え、なりたい自分、やりたいことを口にするようにすると、人はそのようになっていく。

 想像もしてなく、できなかったような解決策が助けてくれることもあるし、偶然掴み取ってしまうこともある。

 大事なのはなりたい、やりたいと強く思っていること。言うことでその思いはどんどん現実味を帯びていく。生きている中で、その思いに関するアンテナが常に張り巡らされている状態になる。だからチャンスや情報が入ってくる。

 

 自分だけでなく、周りにもこういう体験をしている人は多い。

 

 

 

 言葉の力はまだある。

 

 悪口はよくない。

 

 人を悪く言うことで、自分の行動も制限してしまっている。

 「投資とか危険なものに手を出してあの人大丈夫なの?笑」とか言ってると、自分が投資に手を出せなくなってしまう。自分が否定したものに手を出すのは極めて難しいし、上手くいくことも少ないだろう。

 

 容姿に関しても、人をバカにしたらしているといずれ自分がそうなった時に、自己肯定感は壊滅するだろう。

 

 

 

 他人を受け入れ、自らの信じる道を行く。

 限りある人生、羽ばたこう

 

 

それぞれの幸せ

 幸せには大きく二種類に分けられると考えている。

 

 一つは成し遂げる幸せ。

 スポーツで一生懸命練習して大会で優勝したり、勉強して試験で良い点を取ったりする、充実感を指す。

 

 何かを成し遂げようと取り組んでいる時は苦しいことが多いと思うが、私は取り組んでいる時の充実感も含めて成し遂げる幸せだと感じている。

 

 目指すものが明確で、取り組んでいることに迷いがない時ものすごくいい時間を過ごすことができる。

 そういう場合に苦しいことがあっても乗り越えられるだろう。

 なりたい自分が明確にある人は強い。

 

 

 もう一つはその時一瞬の幸せ。

 カラオケ行ったり、風俗店行ったり、その時が楽しい幸せを指す。娯楽全般がこれに当たる。

 

 友達に誘われたり、誘ったり、こういう時間はもちろん楽しくて幸せを感じられるが、多すぎると自分と向き合う時間を取れず、成長する機会を失ってしまう。

 

 社会人になって仕事が楽しくない、苦しい状態でこの一瞬の幸せをメインに生活してしまうと一向に生活は改善できない。

 

 給料が入れば、友人と飲みに行き、好きな人とデートをし、ローンを払い、家賃を払い、ほんの少しの貯金ができればいい方だろう。

 

 

 私は成し遂げる幸せをメインに生活している人間に魅力を感じる。

 自分よりすごい人間はみなこっちの幸せを追い求めた生活をしている。

 

 

 成し遂げる幸せを追い求める生活をして、人生を充実感で満たしたいとは思ってもすぐやろうと思って始めるのは中々難しい気がする。

 

 成し遂げた経験があるからこそ、これからも成し遂げたいという思いを持つことができるんじゃないかなと私は感じている。

 

 そうなると小中学校の過ごし方が重要になってくる。そこで好きなものに全力で取り組み成し遂げるための生活をしていれば、充実感の幸せを知ることができる。

 

 

 今自分はどっちの幸せを多く感じながら生活しているのかじっくり確かめて、将来ありたい姿と照らし合わせるべきだ。

 

 何も準備していない人間に奇跡は起きない。

 今危機感と緊張感を持って取り組んでいかないとあっという間に時は流れてしまう。

 

 

 私は成し遂げたい!

 

 

家族

 一日一日を自分勝手に生きて、迷惑をかけるくせに口だけ達者な人間はけっこういる。

 

 おれはあなたの一日一日、もしくは一瞬一瞬の行動、言動にしか興味がない。

 

 その時その時を適当にやって、こっちに不快な思いをさせてきた事実は決して忘れない。

 

 それが小さなことであっても大きなことであっても関係ない。

 

 何年も何年も我慢して、いざ切り離そうとするとこっちが悪者になる。

 

 「家族なんだから大事にするべき」

 それはもちろんそうだろう。

 でもおれは許さない。

 実際に感じたイライラ、ストレス。

 

 これ以上一緒にいたらおれは同じことをやり返すし、それはしたくないしそんな自分になるために生きてる訳ではないから、切り捨てようとしている。

 

 どっちが悪いんだろう。

 悪いとか悪くないとかあるのだろうか。

スポーツのコツの話

 私は中学生の時、156センチ、49キロのクラスで2番目に小さく、足も3番目に遅いハンドボール部だった。

 

 肩が強いわけでも、イケメンでもない。髪型は坊主で真面目な中学生だった。

 

 それでもキャプテンを任され、最終的に市のMVPに選んでいただいた。

 

 パワーもスピードも無くても戦い方はいろいろあるということを、才能が無いとか引目を感じてる人に知ってほしい。

 

 ハンドボールのことで言えば、ディフェンスの上から強いシュートを打つこともできなければ相手を吹っ飛ばすこともできない私は、速攻でパスをもらいサイドシュートに徹していた。

 

 足が速くない私はディフェンスからオフェンスに切り替わってからスタートするのではなく、相手が打つ前から走り出している。

 

 キーパーが弾いたとき用にディフェンスはいた方がいい場合もあるが、自分が走り出してしまえば私のマークもついてくるしかないためその心配ななくなる。

 

 後出しで私についてきてもハンドボールコートの数十メートルで抜かされることはまずない。

 

 

 これは、「分析」と「遊び心」が大事だという話である。

 

 

 客席から他チームの試合を見ているときなんてことないクセに注目して見てたりする。

 

 チャンスで無いとき、なんとなく一回ドリブルする選手や、安全だと気を抜いたとき相手が近くにいても簡単に味方にボールを預けるゴールキーパー

 

 そういうのを見て、なにしてんの笑 なんて思いながらその相手と当たったときにドリブルを弾いたり、ゴールキーパーからのパスをカットしてそのままノーマークでシュートしたりできる。実際にできた。

 

 中学生でも社会人でもそういうプレーヤーは必ずいる。

 

 

 正攻法で手も足も出ないくらいすごい選手なんて山ほどいるが、こういう風にずっと自分の頭で考え続けられる選手は極めて少ない。

 

 現在スポーツ頑張ってる方は、いろんな競技の中で、考え続けることで活躍できるチャンスはたくさんあるということを知った上で、自分に向いてる強い戦い方を探してほしい。

 

 そして後天的に鍛えられるところは必ず鍛える。日頃しっかりやっている自分というものが、必ず大事な時に背中を押してくれる。

 

 

 能力だけに頼ってるやつを嘲笑ってやろう。

 

 

運動と健康

 私は運動が大好きで10歳から10年以上定期的な運動を続けている。割と本格的にスポーツに取り組んでいる。

 好きなので継続できている。むしろこれが人生の中で一番ってくらいに好きなことだから続けている。

 

 だから運動が健康で、世の中的にもいいことであって本当によかったと感じている。

 

 これがギャンブルだったりたばこだったりしたら大変だ。周りからは嫌な目で見られ、やる度に小言を言われる。

 

 運動がいいことだから好きになったのか、好きなものが健康的なものだったのか分からない。

 好きな人が既婚者だったか、既婚者だから好きになったのかみたいな、不倫議論に似てる。

 

 もし後者の、たまたま好きになったものが健康的であったとしたら、私は喫煙者やギャンブル依存者を責められない。

 

 

 人の幸せは他者には決められない。